マレーシアの歴史

東南アジアの中心部に位置し、初期からヨーロッパ・東洋・インド・中国各方面からの交易ルートの中心地として、世界でも主要な海洋の交 差点の一つと なっている。

マレーシア周辺の国々

マレーシア人のルーツ

温暖な熱帯の気候や手付かずの自然の恵みは、約5千年前、オラン・アスリ(西マレーシアの原住民)の祖先の時代に、大陸中国やチベットからの大移動の開拓者たちが移民する先として適した環境であった。続いてマレー系の人々が農業や金属の使用といった技術を携えてやって来た。

西暦前1世紀ごろ、中国やインドとの間で強力な貿易提携が結ばれ、国の言語や伝統・文化に多大な影響を与えるものとなった。

マレーシアの歴史の中で、ヒンズー・仏教を中心とする時代があったことは、タイの国境に近い、西マレーシアの北西に位置するクダ州にある、ブジャング盆地やムルボック河口の遺跡に見られる。

イスラム文化の時代

アラブやインドの貿易商によって持ち込まれたイスラム教の広まりは、13世紀までにヒンズー・仏教の時代に終わりをもたらした。マラッカを領地とする、ヒンズー教徒のマレー人の支配者たち(マラッカ王国としてマラッカ海峡の両側を100年以上の間統治した)の、イスラム教への改宗に伴い、イスラム教がマレー系の宗教として確立され、マレー社会に重大な影響を及ぼすこととなった。

ヨーロッパ大航海時代(ポルトガル・オランダ)

マレーシアの歴史は、ヨーロッパの人々の出現に伴って劇的な変化を遂げることになる。1511年、ポルトガル人がマラッカを占拠。マラッカ王国の支配者たちは、南のジョホールへと逃亡し、そこに新しくジョホール王国を立てようとするが、ヨーロッパ人からだけでなく、アチェ族、ブギス族、ミナンカバウ族にも妨害され、結果的に現在の西マレーシアの州単位での主権に終わっている。ポルトガルはといえば1641年にオランダに敗北を帰したが、そのオランダのマラッカ統治もイギリスが出現するまでの間だった。

イギリスの植民地時代

イギリスは1824年に、スマトラ島のベンクーレンとの引き換えに、マラッカをオランダから獲得した。イギリスは新しい基地となったマラッカ、ペナンやシンガポール(海峡植民地として知られる)から、その力と影響を及ぼし、西マレーシアの各州の政治統合に取り掛かり始める。

第二次世界大戦~独立

第二次世界大戦とそれに続く日本軍の占領(1941-45年)の後、1946年にイギリス軍はマラヤ連合を結成。しかし程なくして1948年には解体され、マラヤ連邦がそれに取って代わった。同連邦は1957年8月31日にイギリスからの独立を勝ち取る。1963年9月には、マラヤ、サラワク、サバ、シンガポール(65年独立)が結合して、マレーシアを建国した。

世界で4つの主要な文化、中国、インド、イスラム、そして西洋からの豊かな遺産を起源とする社会と文化が融合した国である。

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